「お金が全てじゃない」という人がいないといけないたった1つの理由とは
こんにちは、Masaです。よくボランティア活動をしている人が、お金が全てじゃないと言っていますよね。しかし、お金が大好きなわたしからしてみると、そういう人が存在しているのが不思議でした。
お金を持っていれば、ボランティアをより大きく出来ますし、他の活動にも使えます。だからこそそういったお金による発展を嫌がる人は、お金を理解していないだけで、無意味に嫌っているだけだと思いこんでいました。
でも、お金を嫌う人っていうのはいつもいますし、お金の存在を無視している人もたくさんいますよね。そういった人がいることが、昔の私は理解することが出来ませんでした。
おかねを嫌いな人がいないと世界はなりたたない
道端にお財布が落ちていました。交番に届けますか。そんな質問を、道徳の時間にされた方も多いのではないでしょうか。
この質問に対する答えはたくさんあると思います。
- 拾って交番に届けます。
- 入っていた半分をもらって届けます。
- 全部もらってしまいます。
- お金だけ取ってお財布は落としておきます。
資本主義社会に生きているみなさんが答えなければいけない最適解は「お財布ごともらいます」です。なぜなら、この方法が一番利益が出るからです。
しかし、道徳ではそんな事は習いませんでしたよね。むしろ、交番に届けるようにと教えられたかと思います。
資本主義の基本は、お金の追求です。しかし、皆がお金の追求をしてしまうと、一番利益が出る行動しかしなくなってしまいます。
そうなると誰も「ムダ」な事はしなくなってしまいます。ムダな行動をしないのであれば、衝動的な買い物も、セールの大量買いも、コンビニの晩酌の購入もなくなってしまいます。
なぜなら、ムダだからです。
お金を監視したり、探ったり、無視する行動は大切なこと
人間の購入の8割はムダでなりたっています。本当は2割で生きていけるのに、です。でも、8割の購入がなくなれば、8割の販売がなくなるということであり、市場経済はこれまでのように機能しなくなります。
たくさんのブランドは必要ありません。洋服は一番安く、着られればいいですから
コンビニは必要ありません。ネットで購入すればいつでも購入することが出来ますから。
嗜好品は必要ありません。最低限生きていける栄養がとれればいいですから。
そうなると、働く必要はありません。でも、生きる意味もありません。なぜなら、自分が存在していることはムダかもしれませんから。
ここまで書くとSFの世界のようですが、「非合理的」な行動をしないようにしてしまうと、いずれは資本主義自体が破綻してしまいます。
だからこそ、
お金がほんとうに正しい役割を果たしているか、監視したり
お金がほんとうに人間に必要なものなのか、懸念したり
お金を持たなくても生きる道はあるのか、模索したり
お金を持たずに生きていくと決意して、無視したり
といった、利益だけでは考えられない行動をする人がいなければいけません。
全員がおかねを追い求めないから世界はなりたっている
このブログを読むことで、お金を好きにならなければ、いつも一番効率的な事をしなければと焦る人もいるかもしれません。
しかし、実は、「お金を嫌う人」がいてこそ資本主義はなりたっています。ただ、お金をおいもとめるのではなく、一歩立ち止まって、自分にとってのお金の存在を探してみて欲しいなと思います。
お金に対しての人それぞれの価値観があってこその、社会なのかもしれませんよ。